去る11月30日、7月に逝去されました㈱サンガの島影透さんの追善廻向法要がゴータミ精舎にてとりおこなわれました。
サンガさんはご存知の通り、『怒らないこと』(サンガ新書)をはじめとして、スマナサーラ長老の本を中心にたくさんの仏教書を刊行されている出版社さんです。サンガさんの書籍によって、仏教に導かれた方もたくさんいらっしゃるかと思います。わたし自身も、サンガさんより刊行された書籍を読んで、テーラワーダ仏教のことを知り、さまざまなご縁を結んで頂き、このようなホームページの記事を書かせていただけるまで導いていただきました。その感謝の気持ちは言葉では言い現わすことが出来ないくらいです。島影社長とは2,3度、お話したことがありますが、とても朗らかな方で、初対面のときに緊張していた私に『ぼくはこんな感じだけど怖くないからね』と笑って話しかけて下さったのを覚えています。本来なら、そんな島影社長の廻向式は、たくさんの方々でおこないたいところですが、昨今の事情のゆえ、少人数でおこなわれました。今回はわたしは出席することが叶いませんでしたので、出席された方々に、法要準備の様子などを教えて頂きました。そちらを参考にいたしまして、法要の様子などをご紹介したいと思います。
●準備
準備は、前々日におこなわれました。少人数での法要となるため、事前に食事の種類や、手順、会場セッティングなどを詳しく打ち合わせをおこなったそうです。手慣れたスタッフがあれこれ気を配り、セッティングをしていったとのことですが、ふだんから行事などで培われた経験と、みんなで協力しあうことが上手なスタッフの方々ばかりで、とても和やかに準備をすすめることができたとのことでした。
また、全国からたくさんのお花が届けられました。溢れんばかりの花の数々を、ボランティアの方がお釈迦様まわりに美しく生けてくださいました。たくさんの方々からお花が届くたびに、その心に毎回とても嬉しさを感じます。
●法要
法要については下記YouTube動画よりご覧ください。下記画像をクリックするとご覧になれます。
また、今回の廻向法要はYouTube中継のほかZoomでも中継され、遠方の方でもより身近に感じることが出来るよう、細やかな配慮がされた中継となりました。
*動画中、59:28あたりから、先祖供養の儀式になります。動画中は見えにくいのですが、画像に写っている銀色のポットから水を器に注ぎ、先祖供養の偈を唱えます。お経を唱えている間中、水をポットから器に注いでいき、器からあふれてもそのまま水がなくなるまで、注ぎ続けます。
また、下記はサンガさんの公式YouTubeから、島影社長のご葬儀の時のスマナサーラ長老のお話になります。
●ご法話
ボランティアの方が今回の廻向式のご法話を文字起こししてくださいました。そちらを下記に掲載いたします。
スマナサーラ長老ご法話 2020年11月30日 島影透さん廻向式より
ではよろしくお願いします。
功徳っていうのはいつだって人間には必要なもので、功徳っていうのは我々の生かしているこの体、心という機械を生かしてくれる動力エネルギーようなものなんですね。それは誰も感じることも、実感することもできないんですけどね。だから我々は立派な車買ったらね、車のでっかさに立派さに驚きますけど、結局は燃料で動いてますから。燃料は誰も気にはしない、相手にもしない。しかし燃料がなかったらただのガラクタですよ。そのように我々を生かしてくれるエネルギーが業と言うんですけど。その中でも善悪ありますから。これは善行為をする功徳行為になります。
今日は特別にテーラワーダ仏教活動においてまあ60%、数字言うの変ですけど、大変協力してくれた島影透様に、我々の感謝の気持ちとして回向をしてあげたいという気持ちでテーラワーダ協会が考えた法要でございます。
供養っていうのはだいたい親戚が行うのは仏教的な普通なことですけれど、大体(親戚の)功徳っていうのは親戚が回向すると届くっていう決まりもあります。しかしまあ私から見れば、まあ島影さんが親戚同然なすごい親しい人で、会ったら喧嘩ばっかりするんですけど、あんなに親しい人がいなかった位くらい親しいんですね。喧嘩っていうのは本当に喧嘩っていうことではなくてね、お互いにからかってやる話でね。しかし、あの彼がね私の仏教活動になんとしてでも協力したいという、なんか兄弟のような気持ちで無理をしながら、危険を承知の上で損することは承知の上で、出版社を設立して、日本中に初期仏教の話はこんなもんや、と知られるようにしてくれたんですよ。
私たちがテーラワーダ協会作って頑張っても一般日本人にとってはなんか変な宗教組織やということでだいたい煙たがる嫌悪されることはもう決まってる結果なんです。
しかしそれと違って、これは人類の教えであるっていうことは、世に広げるためには宗教関係と違って、このテキストとか本とか出さなくちゃいけないんですね。だから皆様も知っているでしょ。日本で本一つ出版すると言ったらものすごい金額かかるしね。自費出版したってもね、どうやって人の手に入るようにするのかっていうそういうところ考えて。私より年下ですね、島影さんが。ですからこの私をすごい協力してくれて、私の考え方をよく理解してくれて、ですから、今みんなこのすごいしっかりした知識の教えであると理性のある仏教であると、だから堂々と胸張って実践できる仏教であるって事はね、まあ知られるようになりまして、我々もその気持ちで頑張るし、ですからその島影さんの貢献というのは並のものじゃないんです。
まあそういう島影さんと、主にして皆様方はものすごい力いっぱい頑張って協力してくれて、私の考え、私の考えですけど助けてくれて、本当に心から感謝いたします。ですから皆様にも協会の他の方々にも、島影さんのサンガ出版の関わりのあるすべての方々に、ご家族の方々にも仏法僧のご加護がありますように、来年大変豊かで幸せで無事でこういう危険な病気の恐れとかそういうものもなくなって、穏やかで生活できますようにと涅槃、解脱に達することができますようにと誓願いたしまして3回サードゥ。
それでお釈迦様と聖なるサンガを念頭にして様々な物をお布施致しました。輪廻転生する生命にどこに生まれても必要なものはこの1番目、寿命なんですね。それから健康でいることですね。それから見た目良く生まれることですね。まあそういういくつかありましてそれを合わせてその功徳、回向法要できているんですね。まあそういうことで命を支えるためには、どこに生まれたっても食事が必要なんです。物を食べない梵天に生まれても、栄養は必要だそうです。だからそういう方々は精神的なエネルギーで養っているんですね。
だから善行為をする場合は、大体仏教の場合は食事のお布施をするっていうことになってるんですね。
それはお坊さん達にパーティーやることじゃないんです。これは一つの法要として、心を込めて行わなくちゃいけないことで。だからまあ今日この日でねどうにもならん何と言いますか、年末でもないし年始でもないし、中途半端な日にちになりましたけど、まぁ一応島影さんが亡くなってねまあほぼほぼ30ー90日間でしたっけ?100ぐらい日にちとってますけどね。だからだいたい3ヶ月間、90日100日間で亡くなられた方々にご親戚の方々は回向するという決まりなんですね。それはチベット仏教、日本の仏教、中国仏教でもやってますけど、何でどうやって日にち決めたのかということをよくわからんですね。テーラワーダではそれほど厳しくなくてね。亡くなられた方々に対しては、だいたいまあ余裕がある人々は毎年何か供養するんですね。あるいは日にち関係なくその気になったら供養するというね。だから1年何回もやる場合もありますね。
まあ特に人間の場合は、人間というのはいつだって中途半端でいい加減で、何やってるか自分でもわからなくて、はっきり決めることもできなくて、という人間だけの精神状態あるんですね。かなり揺らぐんですね。人間見たら、この人いい人か悪い人かまるっきりわからない。いつでも揺らぐんです。動物ぐらい我々に観察できるんだけど、動物なんかはしっかりしているでしょうに。例えば年を取って病気になっちゃうと、はい終わり、とご飯も食べないで餌も食べないで、もう死ぬ覚悟してじーと待っているんですね。泣いたり叫んだりすることもないし静かに亡くなるんですね。あの娘に会いたい、息子に会いたい、孫に会いたいとかそれもないんですね。この家はもう誰の名義にするのか動物たちにはないですね。これは神々にも誰にもないんですよ。
人間だけなんですね。あらゆるこの関係作って作りまくっちゃってだから、人間にあんた明日どうするのかと聞いたっても、まあ明日仕事やと単純なこと言うかもしれませんだけど。じゃあ分からないでしょうに。
ですからこの亡くなる場合でも、人間には次どうするのかという全く決まってないんですね。
だからそれがやばいんだから、仏教は散々毎日慈悲の瞑想してくださいとかね。毎日のようにお経をあげたり、何かより清らかな心でいてください、とかね。いつでも(ちっちゃく)小さくていいんだから、何か善行為してくださいとかね、言って(るんですね)。だからこちらにミャンマーの方今一人いらっしゃいますけど、しょっちゅうお寺に来て花を差し上げていろいろ毎日何かやってるんですね。毎日できなかったら1日ごとにでも来て、ちょこちょこっとお釈迦様との関係を続けて持ってっちゃうんですね。まあそういう文化は日本ではないしね。
とにかく我々のテーラワーダ協会については、多大な貢献をしていただきまして今日は親戚の方がいないんだから、私は親戚になるしかないんだけどね。島影さんの。で、あまりにも日本の国でね、仏陀の生の教えをね広げるためにねあまりにも貢献した方なんですね。だから説法してないだろうってことじゃなくてね、やっぱり在家としてしっかりと仏教を支えるということはやってくれたんですね。だからまあ必ず彼がね、まあ一般人にはなかなか想像できない位、法を広げるという法施というお布施の中で一番トップのお布施ですね、それには参加できましたし、サンガ出版でね本を出したおかげで、仏教知った人々、たくさんいるし、そのおかげでその本を聖書みたいに持って、毎日それ読んだり、心の慰めにしたりする人々っていうのは相当いるんですね。
ですから、島影さんとその島影さんの仲良しスタッフですからね。会社って変ですねなんか仲良しグループですからね。ですからこのなんか正式的な会社ですけど、結局はちょっと拡大した家族グループでみんな素晴らしいこと、仏教のために人類のために素晴らしいことやっていただいたんですね。まあその道はそんなに簡単単純ではないんだからね。
色々とにかくアビダルマテキスト、そこらへんはね、これは出さなくちゃと島影さんがものすごく厳しく私に言うんですね。私はこれは一冊では納めませんよ。シリーズになるんだよ。まあいいやと。次に私が言ったのは、あのね誰も買いませんよその本は。ややこしい本は買う人は誰もいませんと。だから私は反対やと知った上で、会社にね、赤字にすることできんでしょ。やっぱり島影さんの考えは、まあこれはもう商売のためにやってるんじゃないんだと、だからいくら赤字になってもそれは構いませんよと。仏陀の教えをとにかくもう、みんなに広げてあげたいということで、結構時間かけてアビダルマテキストを何冊か7冊位か覚えてないんだけど、出しましたし、だからこの私考えたのは、とんでもない人やとこの人はと。
だからこのなんか見た目でわからんね。見た目で、なんだあんたはって感じで変な事やったりするんだけど、芯がそうじゃないんですね。
それは別に誰にも言わないで、みんなとそれなりにまあ生活しながら喧嘩もしながらわがままも言いながらもう迷惑もかけながら、いろんなことを普通でやってるんだけど、芯がすごく違うんですね。まあそれも私に言ったことはありますからね。やっぱり自分のお父様がね、なんかすごい、テーラワーダ仏教知らなかったんだけど、禅、座禅をやったりして、すごい仏教に関心もってね、だからもうそこら辺で心を清らかにする何かをやりたいっていう期待があった。そこでそちらに思ったのは、本を出したいって言うね、ことですけどね。だから一人が本一冊出しても、そんなに大した結果にならないんですね。だから親孝行としても彼が考えたのは、じゃあスケール大きくして本たくさん出そうと。それだったら出版社を作るしかないっていうことでね。だから、この根っこからものすごく優しい信じられないくらい優しい素晴らしい人格者なんですね。
だから人は見た目で判断してはアカンっていうのは、そういうことなんです。分からないんですよ、それはもう。我々坊主だからね、人の心の真髄ところは読めますけど、普通みんなそれぞれ自分に見せる顔で判断するんですね。だから私は言ってます。島影さんがいろんな人にいろんな顔を見せてますからね。だから家族に見せる顔と、この島影さんの仲良しのこの佐藤さんに見せる顔は違うんです。他の人々に見せる顔もそれぞれ違うんです。宿泊瞑想会に来たらまた別人で、まあそういうことで人ってのは、その場でその場で複数の顔持ってますけど、実際に芯は何なのかと。芯は本当に素晴らしい、無我で慈しみで人に役に立ちたい、それがあってその上でいろんなドラマをその方もやってきたんですね。だから私怒ったならば、彼がね、酒もタバコもやめると思ったんだけど、私は辞めなさいと言ったら、そこはそれでもやりますっていう力は人間にはないんです。だから私はそれなりに理由がある場合は言うんだけど、やっぱり自分にとってはなんか親戚状態みたいな感じだからね。そこまでやってるんだから、本人にもいくらかふざけるチャンスがあげたいとね。なにかちょっとだらしないのこともしないと、性格がまとめないということはある。あまりにも真剣真面目もあまり良くないんですね。
だからそんな程度で、アホなことやったってもいいんじゃないかなと、ちょっと緩めたところでもう早く亡くなってしまっちゃって、私の右腕を切断されたことになっちゃったんですね。だからもう本当に私はすごい損しましたよ。だって本を出すのはもうこれから、大変なことになっちゃいますからね。
そういうことでね、やっぱり協会の皆様方もすごい今日コロナの問題でね、集まった方々人数制限しましたけどね。でないとすごいたくさん方々が来る可能性もありまして、コロナなかったら我々は公で大きなホールでそれなりの、セレモニーをやらなくちゃっていう考えも私にはあったんですけど、とにかく純仏教的に、お釈迦様が教えた通りに、島影さんの来世が極限に幸福になりますように、解脱に達することができますようにということで功徳を積んで、回向したいと思います。それからこの慈悲の冥想をしましたし、戒律守りましたし、布施しました。ダーナ、シーラ、ヴァーワナーっていうね、功徳は3種類です。三つも行いましたし。まあこれでお坊さん達一緒に慈経を唱えます。
皆様の幸福のために仏陀の言葉をみんなで唱えましょう。
それでは我々は皆様方毎日善行為を行っていますし、このゴータミー精舎のお世話を毎日のように来てなさってるし、コロナっていうことは怖いんだけど、怖がらないでね、しょっちゅうお寺に来てね、瞑想したり、お釈迦様のお世話したり、お寺の掃除をやったり、色々頑張ってみてください。皆様方掃除によってものすごく健康にはなります。病気を避ける方法一つとして、仏法僧のお世話するってことになってますからね。まあ、それも頑張ってみてください。
今日はね、たくさん功徳を積みました、このサンガにお布施するってことは、仏陀にお布施したらその功徳っていうのはこの無量のパワーが持ってるんですね。無量ということは仏教はいい加減で使ってる単語ではないんです。無量無限っていうのは、ものすごく気をつけて、考えて、理性に基づいて、仏教で使っているんです。まあ昨日の説法でも、この有限無限という言葉ちょこっと触れましたけどね。功徳は有限功徳、無限功徳があります。文字通り無限なんです。だから無限功徳っていうのは、慈悲喜捨の実践することですね。その場合は功徳よりちょっとレベル高い瞑想の境地ですけど、そこで仏法僧にサンガにお布施することもこの(無量無限ではなく、)無量功徳になるんです。ということはいくら輪廻転生して輪廻転生していっても、この功徳の力が(つきません)終わりませんっていうことなんです。だからこれでもうハチャメチャ輪廻転生するぞっていうことは、誰も誓願しません。いくらでも輪廻転生しても、この功徳の力で幸福に生まれることは出来ます。だからお布施の場合はこの欲を捨てるということは、しなくちゃいけないんです。だからこれをすごく素晴らしく経験できるんですよ。持ってるものを人にあげると、なんかちょっと気持ち悪いんですね。なんかあげたくないなぁっていう、ちょっとなんかありますね。
しかしこのお布施の場合は喜んであげられるんですね。損した気持ちは全くならないんです。喜んであげるという。だからそれはお布施の本当の精神マップなんです。それは体験できるんですね。あぁ、お布施に参加できてよかったとか、昨日から前の日から色々準備もやっていたんだけどね。あぁ、今日よく頑張ったというなんかすごい満足感でてくるんです。あぁ嫌なこっちゃっていう気持ちにならないんです。うまくいったっていうことで、だから私もびっくりするくらいすごく上手くいってましたしね。
ですからこの欲を捨てることいかに安穏、やすらぎかと、いかに幸福かと、皆様には経験出来てると思います。
ですからこの無量のこの功徳をもって、皆様に幸福がありますようにと言わなくたっても幸福になりますので、煩悩をなくして解脱に達することができますようにと三回、サードゥサードゥサードゥ。
それから仏教には人間は反対邪魔ばっかりしますけどなかなか仏教は死にませんよ。だから私にしたってもいろんな反対ばっかしで、でも潰す事できないんです。理由は仏教はものすごい神々が守ってるんです。人間何か言ったからっていって仏教の力が消えません。だから中国みたいな大きな国がね、すごい共産主義で凶暴でがんばっちゃっても、仏教は全部消してしまうってことは絶対に出来ないんです。大乗仏教、いろんな迷信神秘いっぱい入ってますけど、中国人はまあそれは大事にやってます。まあイスラム教もいっぱいありますけどね。だからこの特に中国人のね、台湾とかあれほど何で仏教にハチャメチャお布施したり頑張るのかと言うと、やっぱり仏教は神々に守られているってことはね、感じているんです。ですからこの我々も あまり私は日本で皆様にその習慣教えてないんだけど、毎回神々に回向しなくちゃあかんですね。
我々を本当に守ってくれるんですよ。特に仏教活動あれこれとかしっかり守ってくれます。
ですから我々はここで積んだすべての功徳を、仏教を守る神々、この日本を守る神々、皆様個人個人を守る神々、すべての神々、功徳を欲しいと思っているすべての神々に回向をいたしましょう。全ての神々が幸福でありますように、安らかになりますように涅槃解脱に達することができますようにと3回。サードゥ。
では皆様にも幸福でありますように、病気にならんようにと元気で明るく長生きできますようにと、また、ますます日本で仏陀の教えが広まって、この日本の国でも出家サンガ組織もできましてね、しっかりした日本に仏教を根付かせて欲しいという希望私にもありますけど、それは日本の国にとっては素晴らしいことになります。日本に根本仏教根付いちゃったら、日本国(くに)が世界の先輩になるんです。だから目に見えない位ちっちゃなあの島が結構世界で活動していますよ。何の力もないんだけど、仏教があるからなんです。だから仏教の偉大なる力がありますから、その力がこの日本国にも入ってほしいと私は思ってるんですね。だから日本人みたいに優しい素晴らしい平和な人々の心に仏陀の教えが根付いたら、地球の人類が幸福になると思います。
皆様方は初期仏教を実践するようになっちゃうと、他の人々も他の国の人々も揃って悪行為をやめて、善行為をする立派な人間になると思います。ですから、世界の平和を目指して、人類の幸福を目指して、日本でも仏教が根付きますようにと誓願いたします。皆様も幸福でありますようにと誓願いたします。皆様に心の煩悩なくなって、涅槃に解脱に達することができますようにと3回サードゥ
はいこれをもちまして島影透さんの回向供養の儀式を終了いたします。
ありがとうございます。
●ボランティアスタッフより
今回はコロナの影響のため、少人数スタッフでの準備となりましたが、参加したかったたくさんの方々の気持ちと一緒に準備、法要に参加させて頂きました。たくさんのお花が全国から届き、お釈迦さまのまわりがまるでお花畑のように華やぎ、始終和やかな雰囲気で過ごしました。また、スマナサーラ長老の島影さんへの想いがこちらまで伝わり、あたたかい気持ちと優しい気持ちのなか、準備していくことができました。
今回の法要中継によって、たくさんの方々とご一緒に廻向式に参加できたことに嬉しさと、また、さまざまな思いを抱えている人たちにも、心が安らぎに導かれていきますように、と、そんなあたたかい気持ちで一日を過ごさせていただきました。
以上になります。
仏教書を刊行している出版社は日本にはたくさんありますが、上座部仏教を主に取り扱っているところはかなり少なく、そちらをメインに出版活動をされる、ということはかなりリスクが高いことだったのではないかと思います。いざ刊行してみても、手に取って読んでもらえるかどうかわからない、もしかしたら書店の棚に置いてもらえるかどうかもわからない、そんな不確かな状況の中で、島影さんがされたことは、本当に勇気あることだと感じます。サンガさんのおかげで、サンガ新書をはじめとする一般の人々が読みやすい上座部仏教の本が棚に置かれるようになり、今では、大型書店ではスマナサーラ長老の棚も作られるくらいの点数が発刊されていきました。
先にも書きましたが、そんなサンガさんの書籍によって上座部仏教を知り、仏教に縁ができた人はたくさんいらっしゃるかと思います。また、一般向けの書籍のため、仏教にそれほど興味のない人たちにとっても抵抗感がなく読め、日々生活する中での指標とされたり、ちょっとしたときに思い出して読んでみて、元気をもらって、そしてまた毎日を歩んでいく、そんな『お守り』みたいな役割もあるように感じます。
島影社長が切り拓いた扉を閉めることなく、その本に記されてきたことを実践し、心を清らかにすることを怠らず、後をいく私たちがそのご意志をしっかりとつないでいかなくてはならない、とあらためて感じました。
島影社長の大きな功績に深く感謝し、これからも一歩一歩、仏道を歩んでいきたいと思います。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
*前回予告しておりました、カティナ衣に関するあれこれ、の記事は、次回以降、掲載を予定しております。
*今回記事作成のためにご協力いただきました方々、法話を文字起こししてくださった方に心より感謝いたします。