みなさま、こんにちは。
5月31日(日)、ゴータミー精舎にて「満月の夜開門」を行いました。
今回は日曜日が満月の日にあたり、10:00〜16:00まで本堂を自主瞑想のために開放しました。
また、11:00からはお花やお菓子をお供えして簡単なブッダ・プージャも行いました。
日中から瞑想実践に励まれる方もいらっしゃり、それぞれが静かな時間を過ごされていました。
18:00からは本堂にてブッダ・プージャを行い、読経と慈悲の瞑想を実践しました。
パティパダーバックナンバー読書会
19:00からの「パティパダーバックナンバー読書会」には、プンナ師と在家6名が参加しました。
今回の教材は、『パティパダー』2018年12月号掲載の「初期仏教のエッセンス|日常生活のなかの瞑想(第2回)」です。
このご法話は、後に施本『日常生活のなかの瞑想』としてまとめられた連載の一部で、日常生活の中で実践できる瞑想について語られています。

今回は初参加の方もお越しくださいました。
インドネシアから来日し、現在は日本の大学で学ばれている方で、日本語も大変流暢に話されていました。
読書会では、インドネシアでは政府が認定した六つの宗教のいずれかに所属する必要があることなど、興味深いお話もうかがうことができました。

読書会で話題になったこと
今回の法話では「空性(くうしょう)」という言葉が登場します。
参加者からは「スマナサーラ長老は普段のご法話ではあまり『空性』という言葉を使われないが、日本のお寺での説法会だったためだろうか」といった話題が出ました。
また、「雑誌様が迷子になっている」という表現についても意見交換が行われました。
- なぜ物に「様」を付けるのだろう
- 自分中心の見方や傲慢さを減らすためではないか
- 本気でそう思って実践しなければ意味がないのではないか
といった意見が交わされました。
さらに「考えないように実況中継するよう言われても、どうしても考えてしまう」という感想もあり、プンナ師から「頭で理解しようとしてしまうが、まずは教えられた通りに実践してみることが大切」というポイントを教えていただきました。
日常生活への応用としては、「道に落ちているゴミを見たとき、『誰が捨てたのか』と怒るのではなく、『このゴミをあるべき場所へ移動できてありがたい』と思える」という話もありました。
また「介護をしていた頃は、仏教の教えを支えとして冷静に判断できるよう努めていたが、最近はその気持ちが薄れているように感じるため、初心に戻って実践してみたい」という感想もありました。
法話の中にある「こころが空性だったら、そのこころから、何でもつくることができます」という一節についても意見交換が行われ、「思考や自我に振り回されない状態でいると、『こうしたい、ああしたい』ではなく、その場で必要なことが自然に現れてくるという意味ではないか」という意見も出されました。
今回も話題は多岐にわたり、読書会終了後も夜遅くまで歓談が続きました。

おわりに
最近は初参加の方や新しい顔ぶれも少しずつ増えてきており、とてもありがたく感じています。
今回も初参加の方を交えて、さまざまな視点から意見交換をすることができました。
満月の夜開門は、瞑想をしたい方も、読書会に参加したい方も、ただ静かに過ごしたい方も歓迎しています。
次回もどうぞお気軽にご参加ください。
生きとし生けるものがしあわせでありますように。
