みなさま、こんにちは。

12月5日(金)は満月の夜の開門で、ゴータミー精舎は17:00~21:00まで開門していました。
早くから瞑想実践をしていた方に加え、実践しようと寒い中いらした方々。そして、ダンマトークや読書会に参加しようと来てくださった方々で、精舎は和やかな雰囲気でした。
18:00からのブッダ・プージャではプンナ師が導師をしてくださり、読経と慈悲の瞑想をいたしました。祝福のお経は、「諸仏の教え」「日日是好日経」「無常偈」「慈しみの隨念」を、パーリ語で唱えた後に日本語訳でも唱え意味をより深く理解できました。

この後、19:00から「パティパダー・バックナンバー読書会」が開かれました。参加者はプンナ師と在家10名です。この日も前回とは別の、よく参加してくださる方が司会を務めてくださいました。また、関西からお仕事で東京にいらしているという方が初参加してくださり、より闊達な意見交換ができました。
教材は2005年6月号の「釈尊の教え・あなたとの対話94」(Q&A)、『ブッダは生の謎を解く』です。ブッダは生きる意味とか、どうして生きるのかとか、そういうことについて何かおっしゃっているのでしょうか?というストレートな質問に、スマナサーラ長老が丁寧に答えてくださっています。仏教は、直接この質問に答えている教えですよ、と。
少し引用します。
瞬間瞬間を全力投球で生きる。そこに大げさな目的なんか作ると死にそうに苦しいんです。意味があるのは、ただその瞬間だけのことなんです。生きる上での意味というのは、現在進行形でしか成り立ちません。
次に、骨折した人がギブスをして「あぁ不便だ、不幸だ、何と苦しいか」と嘆くのは頭が悪いと。ギブスを喜ばないといけない、と例を出してくださっています。なぜなら、そのギブスこそが、今の自分にとっては意味があるのですから。
プンナ師は「みんなそれで苦しんでいるのですよ」とおしえてくださいました。また、自分に起きる出来事に対して「これはおかしい」も「これでいいんだ」も両方ともおかしいと。例えば風邪で熱が出たら、身体に生じる症状を観察するのはそうなのですが、「これは嫌だ」もおかしいし、「これでいい」もダメで、きちんとそれに対処するのが正しいということでした。
そのプンナ師のおっしゃったことに感銘を受けた参加者が挙げてくださったのが、末尾の文章です。「ブッダは、人は自分が生きることに関わることさえ正しく知れば幸福になれます、と、人間が生きるというそのひと言葉について答えられたのです」
他にも、無常のこと、身体の苦しみのこと、正念・正知のこと、多岐にわたって対話ができました。プンナ師への質問も多く、お坊様とお話しする機会は本当に貴重だと、再認識いたしました。

今年最後の満月の日は、月が煌々と照って明るい夜でした。
どうぞよろしくお願いいたします。
生きとし生けるものがしあわせでありますように。

