みなさま、こんばんは。

10月26日はこちらは一日雨でした。それでも元気に、日中はボランティアの日、17時からは満月の夜の開門を行いました。
雨の降る中、精舎に足を運ぶ在家のみなさまのために、今日もパンや果物のお布施を用意してくださっていました。そして何より、ひとりひとりを歓待してくださったワンちゃんが。

7ヶ月のラブラドール・レトリバーの女の子で、最近たまにゴータミー精舎で飼い主様が帰るまでみんなの遊び相手をしてくださっています。
ワンちゃんが帰った後、寺猫サーリーちゃんがしきりに自分の匂いをあちこちに付けていました。

今日はお坊様は雨安居最終日の儀式が八王子の戒壇であり、お帰りになってすぐに18:00からの夜のブッダ・プージャの導師をしてくださいました。初参加の方がお二人いらっしゃいました。
19:00からは、パティパダー・バックナンバー読書会でした。チャラナ師、プンナ師がご参加くださり、在家9名の参加者とともに、スマナサーラ長老のご講義『なぜ苦は偉大なる真理なのか⑤』を輪読しディスカッションいたしました。
「人生に価値を入れること、これがあらゆる苦しみをもたらします。そこでこの逆の『価値がない』ことをパーリ語では『dukkha』と言います」という文でご講義は始まっています。
「du」はここでは「無価値、たいしたことがない」という意味で使われます。分かりやすく言うと、日本語では『小石』や『小川』の『小』に当たる、と解説してくださっています。石や川の重要さの程度を小さくしている修飾語のようなものです。
「kha」は「からっぽ」という意味だそうです。
合わせて「dukkha」は「空しい、無意味でどうということはない、気にすることはない」という意味になります。
また重要単語saṅkhāra(サンカーラ)の解説も。スマナサーラ長老は、それに対する日本語として「現象」という語を使っています。現象とは「成り立っているもの、組み立てられたもの」という意味で、この世の中に組み立てられていないものはひとつもありません。身体は一時的に組み立てられたもので長持ちしない、実体の見つからないもの。心も条件次第で変わる一時的なもの。
ご講義の⑤で重要語が二つ出てきて、みなさんの対話の真剣度が増していった感じがしました。ほんの一部をご紹介。
- 心が現象で実体がない、ということが分からない。あると思ってしまう。
- 長持ちしない現象を維持したくてたまらない。
- 「可愛い服」は現象だと思ってみても、執着してしまう自分もいる。
- 「価値がない」という言葉自体に、拒否反応を感じる。
と、みなさん冷静に観察し率直にご意見を述べられていました。
チャラナ師のご説法の一部
- 修行が進むと、俗世間の苦しいということも、たいしたことがないと思えるようになりますよ。
- お寺に来て、スマナサーラ長老にお会いするだけでただ心が清まりますよね。お釈迦さまも善友と積極的に関わりなさいとおっしゃっています(仕事帰りにがんばってこちらに参加した方に向けて)
- 怠けの克服方法は、一日のルーティンを決めてそれに従って動くこと。お仕事などで不規則な生活の方には、その不規則分の穴埋めの時間もルーティンに含めること。日々やることをきちんとやっている人は、修行をやらなければと焦ったりしません。
プンナ師のご説法の一部
- すべて「現象なんだ」と思いなさい、ということです。難しく考えず、ただ観察すればよいのです。はじめから「現象はこれこれこういうものだ」と哲学的に難しく考えるのではなくて。
- お釈迦さま、スマナサーラ長老が「価値がない」と言ってくださるのはすごい価値ですよ、と私たちは捉えています。何でも「価値がない」と思わなくても。(「仏教には価値を置きたい」というご意見に対して)
初参加の方から、来てよかった、という嬉しいご感想をいただきました。肩のこらない、気軽に参加できる読書会です。初めての方もぜひどうぞ!
☆来月の満月の夜の開門は11月24日(火)です。
読書会の教材は、いよいよご講義の最終回「なぜ苦は偉大なる真理なのか⑥」です。ふるってご参加ください。
余談
女性に「どっちの服がいいと思う?」ときかれ、「うーん、どっちでもいいよ、無意味だし無価値だし」と答える男性は、嫌われちゃうよね。というご発言があり、みなさん笑ってうなずかれていました。お気をつけくださいませ。
ブッダ・プージャに参加された方々の功徳、瞑想実践された方々の功徳、読書会で学んだ方々の功徳、お布施でみなさんのお腹を満たしてくださった方々の功徳、慈しみで満月の夜に対話くださった方々の功徳、それぞれに随喜いたします。
そして、生きとし生けるものに回向いたします。
生きとし生けるものが幸福でありますように
