6月の満月の夜開門・読書会レポート

みなさま、こんにちは。

6月11日(水)は、満月の夜の開門でした。

いつものように17:00から始まりましたが、あいにくの雨模様です。しかし、ぽつぽつと人が集まり、瞑想される方もいらして、みなさん満月のこの機会を存分に使っていただけているようでした。

お布施もたくさんありました。お陰様で仕事帰りの方も空腹を満たしながら実践や勉強ができます。柳会長、ありがとう♬(会長はこの日、お子さん達とたくさん茂ったシソを収穫していました。)

18:00からプンナ師の導師で夜のブッダ・プージャです。お飲み物のお布施をし、読経と慈悲の瞑想をいたしました。祝福のお経は「諸仏の教え」と「箭経」でした。

19:00からはパティパダー・バックナンバー読書会です。教材は2007年1月号の巻頭法話。参加者はプンナ師を含めて12名でした。

スマナサーラ長老が祝福について教えてくださっている内容です。お経は相応部・有偈篇・帝釈相応「旗先経」。

「祝」という文字は「相手の幸福を願う」という意味があるとプンナ師が教えてくださいました。仏教徒の間では、よく祝福の言葉を交わしますし、お坊様もことあるごとに在家の幸福を願うお経を唱えてくださいます。たとえば「仏法僧のご加護がありますように」やお経の「祝福の偈」など。ディスカッションの様子を少しお伝えいたします。

内容

  • 人間は自分という殻の中で生活している。挨拶など、共通する共感できる言葉を交わすことで、互いの殻から出てコミュニケーションができる様になる。
  • エゴイストである我々は、相手を祝福することで平和な生きやすい社会を築くことになる。
  • 自分がまずい状況なのに、他者を祝福することは難しい。目上の人に祝福ができる。
  • 成功、失敗、幸福、不幸などはすべて心の状態による。支配者は神ではなく「心」。
  • 人間であろうと神であろうと、貪瞋痴があるから怯え、怖くなる。怯えている人に他人の怯えをなくすことはできない。
  • 「森の真ん中で修行するあなたに、恐怖感や鳥肌の立つことがあったら、たちまち仏陀を念じなさい。確実に恐怖感が消えます。なぜならば仏陀が不貪不瞋不痴であって怯えることは微塵もありません」
  • 仏法僧の三宝は貪瞋痴を乗り越えているから、全ての生命より絶大な力を持っている。

ご意見・感想

  • 祝福のことを理解するのは、難しいかも。
  • いつも家に籠って仕事をしているので人と話さない日がよくある。なのでスイミングを始め、周囲の人に挨拶をして会話をしたら話が弾むことがあり、自分の殻が破れた経験をした。
  • 仕事では、ビジネスメールには社交辞令の挨拶が定型文で入っていて、ただのマンネリの言葉になっているから、心が籠るように気をつけたい。
  • 相手が非常にまずい状況の時には、「仏法僧のご加護がありますように」とメールの文末に加える。相手の心に仏法僧があるから効き目があると思う。また「生きとし生けるものがしあわせでありますように」と書けないメールは送らない(そういう気持ちをいつも持つ様にしている)。

などなど、他にも深いご意見が交わされて、楽しくも勉強になる対話ができました。

手紙の末尾に九拝という言葉をつけて、敬意を表すことがあるそうです。昔、手紙に九拝と書いて、実際に9回礼拝して頭を下げてから手紙を送る習慣のお坊様がいた、とプンナ師が教えてくださいました。

『その様に「生きとし生けるものがしあわせでありますように」という言葉も、本当にそういう気持ちで言ったり書いたりすれば、それは祝福になります。たとえば懺悔の文で、相手を許していないのに「他の過ちを許します」と軽々言ってしまうことがあったりするのが人間。回向の文も、お経にもすごいことが書かれてあるから、真剣に言葉の意味の通りの心で念ずると修行になります。』というプンナ師のご説法が心に残りました。

みなさん、遅くまで歓談されていて、楽しそうでした。

お寺に来てお坊様と直接お会いして、話をしたり一緒に読経をしたりすることは、とても心が元気になります。カッコつけることもなく、偉ぶることもなく、そのままで気軽に対話できる友がいることも、すごい心の栄養です。満月の夜のゴータミー精舎は、お陰様でみなさまの心の避難所として機能しています。ただ瞑想したい方ももちろん、ご都合が合えばぜひ足をお運びください。

次回の予定

次回の満月の夜の開門は7月11日(金)17:00~です。
どうぞよろしくお願いいたします。

生きとし生けるものがしあわせでありますように。

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